上行山法華寺山門から本堂を望む
撮影者:広瀬欽也氏・・・法華寺略詩参照
山門は天文年間(1736〜41年)に建造されたものとされている。
山門前の石碑
山門前にひげ題目「南無妙法蓮華経」の石碑が建っている。
ひげ題目は日蓮宗で霊力があるとされる。
側面の銘によると、この石碑は宝暦13年(1763年)に建てられた碑であり江戸時代中期にあたります。
寺宝として宗祖象、四菩薩、曼荼羅、掛け軸、書、刀剣等があります。
詳しくは「法華寺略詩」で紹介しておりますので、そちらをご覧ください。
法華寺のヒイラギ
盛岡市指定文化財 天然記念物
「法華寺のヒイラギ」 一本
昭和四十七年十一月十二日指定
ヒイラギはコリの最北端、庭園の西側にあり、市教育委員会では指定の理由として次のように記している。
盛岡市は冬季の寒さが厳しく普通の状態では越冬困難である。本樹は恐らく幼齢時代に、他樹の樹下に植えられ寒さから保護され、上木が老木となり枯死したため、露出した時は耐寒力がついて生育を続け得たものと思われる。本樹は植栽の北限地として重要である。
法華寺のモリオカシダレ
寺院前の立札には下記のように記されております。
盛岡市指定文化財 天然記念物
「法華寺のモリオカシダレ」 一本
昭和五十五年四月一日指定
この桜は「シダレヒガン」と「オオシマザクラ」の雑種で、樹齢五十年〜六十年と推定され、今後百年くらいは現状維持できるものと推定される。市内名須川町竜谷時のモリオカシダレ(国指定)は現在生育は多少回復しているが廊下が著しいので、その後継樹として最適のものである。昭和六十二年(1987年)測定によれば樹高6.3メートル、根元の幹囲1.85メートル、胸高の幹囲1.53メートルである。枝張りは、東西へ13.7メートル、南北へ11.9メートルである。竜谷寺のものに比較して、花が大きく、オシベに微毛がある点で多少異なっている。
一、中島源蔵 1829〜1868
南部藩勤皇の志士、家老山佐渡へ熱心に勤皇を説いたが入れらず大阪で「奸臣殺忠臣」と血書し自刃した。庫裡に槍三振所蔵す。
二、常磐津林冲 1842〜1906
邦楽家本名山影忠助盛岡生まれ、九代目団十郎のタテ地方を務め、声冴えわたる名人芸で万座をわかせた。
三、原勝郎 1871〜1924
盛岡生まれ東大卒、京大教授時代西洋中世史日本中世史について銘書を残し、また外国語による最初の日本通史を書いて外人に紹介した著者としても有名である。
四、板垣征四郎 1885〜1948
陸軍大将陸相沼宮内生まれ。関東軍参謀長として敏腕を振いシンガポール第七方面軍司令官で終戦を迎え、極東軍事裁判でA級戦犯として絞首刑になった。
第二十六世日観上人が法華寺の歴史や関係古文・関係書類をまとめ上げて、平成十一年七月に発行されました。
見る人々を境地に引き込む圧巻の書簡です。一読して下さい。