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上行山法華寺は岩手県盛岡市に位置する日蓮宗のお寺です
法華寺
TEL.
019-622-4894
〒020-0061 岩手県盛岡市北山1丁目4-10
仏諸知識
ここでご紹介する諸知識文章は「法華寺略詩」中の古文献から引用しております。
お焼香の正しい作法
法要中にお焼香する時には、まず導師に一礼して御宝前に進み一拝いたします。それから右手の親指と人差し指の2本の指の先で軽く香をつまみ、左手を下に添えて頭を軽く下げ頂戴します。
そして火種にそっとそそぎます。これを三回繰り返すのが正式です。ただ参列者が多勢のときには限られた時間内に皆がするわけですから、ていねいに一回するだけでいいでしょう。もし香でなくお線香をあげるようになっているときも、やはり三本か一本にして下さい。この場合、お線香の炎が出ても口で吹き消してはいけません。
香は古くから「信心の使い」といわれ、お焼香をすることによって、その匂いが自らの内にある仏性を目覚めさせるとされています。また「仏の使い」ともいわれ、浄らかな信仰の真心が香の煙にのって仏様に伝えられるとも言われております。
数珠の意味と作法
数珠は珠玉(じょうじゅ)とか念珠(ねんじゅ)などとも書き、読んで字の通り念ずる珠であり、お題目を唱えたりお経をあげるときに、精神を集中し、仏様の世界を念じ一心にお題目を唱えるものに、より多くの功徳を与える法具です。
かけ方は、平常は二つ環にして左手首にかけておき、合掌中はやはり二つ環にして左手の親指と人差し指の間にかけます。なお読経中にジャラジャラと音を立てるのはやめましょう。これは山伏修験の風であり、導師が他の式衆への合図のために始めたことですから。
ひげ題目は何をあらわすか
「南無妙法蓮華経」のお題目の「法」を除いて他の六字は長く引き延ばしてかかれております。
これは日蓮上人が沿いした筆法ですが、字の先端がひげのように伸びていることから「ひげ題目」と稱されています。これは、光明を発射している様子を象徴したものともいわれています。つまり、中央の題目は智慧をあらわし、ひげは智慧の光明線を表現しているといいます。曼荼羅でひげが諸仏諸尊をはじめ生きとし生けるものが成仏を完成した相を映しだしているともいいます。
お題目の意義と功徳
お題目とは釈尊滅後の現代(末法)に生きる私たちを救うために、釈尊が妙法蓮華経の中に残して置いてくれた宝の「珠」であり、「良薬」であります。
日蓮聖人は法華経を色読して「本仏釈尊は末法の時代の人びとのために、この一念三千の理法を、私たちを救い成仏させようと願って、南無妙法蓮華経という七字の中につみこんだ宝珠とし、これを唱えるものが、自然にわが身にこれを頂戴して仏と一体となれるようにして下さっている」と、私たちにお示しなられました。これが日蓮宗のお題目です。
お題目には、み仏が遠い昔、永遠に人々の幸福を願った心が込められているのです。
ウチワ太鼓と日蓮宗
ウチワ太鼓は日蓮門下独特のものです。伝説によりますと、念仏宗の信仰に熱中していた僧侶が日蓮聖人のお説教を聞くうちに念仏の救いに疑問を持ち、とうとう改宗して日蓮聖人のお弟子になりました。
ところが、それまで念仏を唱える時には、いつも鉦を叩いて調子をとり、リズムにのって唱えていたのに、お題目を唱えるときにはなにもなくどうも寂しい、具合が悪い。
そこで「お題目を一層唱えこむために何か良い方法がないものか」と考えあぐねた末、太鼓を叩いてお題目をあげて見たところ、大変具合が良いので、日蓮聖人にお許しをいただき、この僧はいつも太鼓を叩いてお題目をあげるようになったといわれています。
その後、時代を経るにしたがい、太鼓もいろいろ工夫を工夫を加えられ、携帯用に今日のような独特のウチワ太鼓が作られるようになったのです。
日蓮宗僧侶の位について
日蓮宗の僧侶は、すべて等しくお祖師さまのお言葉にしたがって仏法を終了するとともに、人々を導きます。一方、古くからのしきたりにより、教師の位を僧階と呼ぶ十二の階級に分けています。
1.大僧正、2.権大僧正、3.僧正、4.権僧正、5.大僧都、6.権大僧都、7.僧都、8.権僧都、9.大講師、10.権大講師、11.講師、12.準講師
これらの僧侶は、僧侶就業歴と宗門への貢献度により、宗門から授与されるものです。
因みに第二十四世日昌上人は権大僧正、二十五世日観上人は権僧正に敍されております。
祖師像の綿帽子の由来
文永元年(1264)八月、久しぶりに故郷房州に戻り母を見舞った日蓮上人は、十一月には工藤吉高のもとに招かれました。その途中、小松原で地頭の東条景信らの手勢に襲われました。熱心な念仏信者であった景信は、師の道善坊にそむいてまで熱心に法華経を説く日蓮上人に対して深い敬意を抱いていたいたのです。
一行は必死に防戦しましたが、お弟子の鏡忍坊、工藤吉高らは討ち死にし、聖人ご自身も景信に切りつけられ、額に三寸ほどの疵を受けてしまわれました。そして奇跡的に鬼子母神のお加護で救われた日蓮聖人は、間道づたいに夜道を逃れ、小湊山の近くにたどりつかれました。やがて、谷間の水で疵を洗い、経を読みながら、身をかくした岩窟の砂を傷口にぬって血をとめたということです。その翌朝、額に深い傷を負って岩窟に隠れている聖人の姿を見かけた「おいち」という老婆が、とっさに自らがかぶっていた綿を聖人にさしあげたということです。
これが綿帽子の由来ですが、寒くなると痛んだであろう聖人を偲んで、秋のお会式から春に行われる千部会、あるいは四月八日の釈尊降誕の聖日まで聖人のお象に綿帽子をかぶせるようになりました。
鬼子母神と十羅刹女
鬼子母神は、古代インド神話にでてくる羅刹(鬼)女で、その名をハーリティといい、自分の子供だけを愛し、他人の子を食していたが、仏の教化を受けて、自らの過ちに気づいてその罪を悔い、人々の子供を護ろうとした説話は、よく知られているところです。この誓いにもとづき、やさしく子を抱き天女の形をした鬼子母神は、安産と子育ての守護人として信仰されるようになりました。日蓮聖人も鬼子母神と十羅刹女を法華経の守護神として大曼荼羅に勧請され、鬼子母神は十羅刹女の母であると説かれています。
さらに法華経の第二十六章陀羅尼品に、鬼子母神は十人の羅刹女と共に、法華経の行者・信者を守護するという誓いが説かれていることから、日蓮宗では鬼子母神の信仰が広く行われています。江戸時代に入ると、天女系に加えて鬼形の鬼子母神が造られ、日蓮宗の祈祷本尊と定められました。これは行者に危害を加えようとする者に対し畏怖の念を起こさせ、行者を守護しようとするというものです。そして日蓮宗では、鬼形は破邪調伏、天女象は安産子育てと分けて説いています。
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